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地震の体験

 日本に住んでいる限り、地震というのはいつあってもおかしくなくて、今回の被災地から離れている場所でも、いつ地震があるかわかりません。今回の地震で歪んだ地盤が、他のプレートを刺激して、別の場所で地震が起こる可能性だってあります。

 まだ被災地には物資も思うように届かず、被害の情報が毎日新たに出てくる状況です。今出来る事が少なすぎて、やきもきしてしまいますが、地震前の生活のリズムを思い出すためにも、被害のない地域では、普段の生活を続けて欲しいと思います。そこで起こるかもしれない”もしも”に備えていて欲しいです。
 皆が同じように沈んでで暗くなって不幸になってしまっては、今から這い上がるべき人たちが、中々上がれなくなってしまうのではないかと。
 被害の少ない場所から徐々に日常に戻っていく事で、被災地も日常に近づいていけると私は思っています。

 気持ちはわかりますが、必要以上の調理の必要のないレトルトや、保存食の買占めや買いだめは避け、生ものを消費する事で経済をまわして行くのが理想的だと思います。

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 ご心配いただいていた千葉は、徐々に断水も回復傾向です。我が家ではまだ時々水は止まりますが、昨日から水の出る時間が増えてきました。
 停電はまだまだ続きますが、予定停電は対応しやすいですし、元気な自分は出来る限りの電力カットのため、無暖房生活をしています。不測の停電が起こると、病院などで大きな被害が出るので、出来る限りの節電をしていければと。
 電気については原発が残念な状況なので、今後も夏に向けても不足が続いて行く事になりますが、電力消費のピーク時間を避け、深夜や早朝などの時間を利用して、少しずつパンを焼いたりアイロンを使用する時間も取り、日常生活のリズムを取り戻せたらと思います。

 今までいかに、無意識に電気や水を無駄に消費していたのか、実感しています。エネルギー関連については、状況が落ち着いても、意識して大事にしていきたいと思います。

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 今日で1週間・・・。記憶が薄れないうちに、地震のあった日の事を記録しておきたいと思います。

 地震があったのは昼食を食べ終え、あとモンスターを2体仕上げたら今日の仕事はキリが良くなるなーと、作業を始めた頃でした。会社は千代田区の九段下そばにあります。
 
 最初は小さな揺れがゆっくりとやってきました。

 あーまた地震だ、最近地震が多いよねー~と同僚に声をかけた時、ゆらゆら が グラグラグラという揺れに変化しました。本を机に積み上げている人の本棚から、次々と物が落ち始め、天井や壁がミシミシと音を立て、壁の塗料にヒビが入って粉が落ち始めました。

 あれ!?コレなんかヤバくない?ビルだからと言って、こんなに揺れたっけ?

 会社から支給された緊急避難袋からヘルメットを取り出して被る人、「ドアを開けておいてーー!」と叫ぶ人、外に飛び出して行く人、机の下にもぐりこむ人がいました。
 私は机の上から物が落ちて床に散乱して歩くのが難しい事から、まずは机の下にもぐる事を選びました。
 ものすごい長い時間に感じました。聞こえるのは騒ぐ人達の声と、ガガガガガガという工事現場のような音。やがて揺れが収まり、ブラインドのカシャンカシャンと揺れる音がこえた時に、外に出た方がいいと感じました。震源は何処だろう、揺れる感じからは東京のすぐそばではないような気がする、震源地が大変な事になっているのでは・・・。

 実家の親が心配するかもしれない等、色々な事が気になりましたが、上着と最低限の荷物を持って、靴を履き替えて外に出ました。

 誰かが扉が開きっぱなしになるようにしてくれていました。この揺れの中、まったく気にせず仕事を続けている猛者もいましたが、さすがに声をかけて全員が退避する事になりました。

 ビルの外に出ると、携帯やスマートフォンで情報収集を始めている人がたくさんいました。震源は北の方らしいというのを、人の話ている言葉で知りました。携帯はもう繋がる状況ではなく、時間がかかってもメールなら届くかもと、とりあえず実家に無事で避難中というメールだけしました。ワンセグだけはずっと繋がっている状況で、ワンセグを持っている人がテレビでの情報を皆に伝えていました。
 会社の中がひどい状態になったので、より震源に近い千葉の自宅がどうなっているか、とても不安になりました。

 会社の指定の避難場所である公園に全員で向かいましたが、その公園は整備工事のためフェンスで囲われ、中に入る事が出来ませんでした。近在のビルの人たちも、公園に入る事が出来ず、歩道に人があふれる状況に。車は普通に走っていましたが、何度も何度も立っていてもわかる余震があり、鳥が飛び回り、信号機がユサユサと揺れて、これは電車では帰れないという事を実感しはじめました。

 消防車や警察車両、救急車の音が響き渡り、どこかで大きな事故があった事を予感させました。総務の人の判断で一度会社に戻り、帰宅できる人は帰宅するよう指示が出ました。
 ネットが繋がる状況だったので、ネットで情報を見ていました。隣の席の人はテレビがあるので、テレビをつけていました。そして津波が今まさに、町を飲み込んでいく姿を見てしまいました。コレは大変な事が起こっている・・・。どうしたらいいのか全然わからなくなりました。
 会社そばの九段会館で、崩落した天井の下敷きになり、死傷者が出ているというニュースも不安感を煽りました。あの救急車は、九段会館に向かっていたのか・・・と合点もいきました。九段会館、今日、どこかの学校の卒業式やってなかったっけ・・・そういえば武道館でも今日はコンサートの予定があったような・・・。あの人たちは大丈夫なんだろうか・・・。

 社内にいても時々余震があり、自宅に帰るべきか、会社にとどまるべきかすごく悩みました。震源の位置を考えると会社にいる方が安心で、ライフラインも会社の方がしっかりしているのはわかっていたのですが、会社に置いてあるお菓子も多くないし、近在のコンビニから食料が完全に消えてるという話が入ってきたので、家の様子も気になるし、帰ろうと決心しました。
 同僚も次々と徒歩帰宅を決意し、帰っていきました。持病もあり、距離が遠く、歩くと10時間以上かかるという同僚は、会社に泊まることにしたので、手持ちのお菓子から、彼が食べる事が出来るお菓子を非常食として渡しておきました。

 いつも地下鉄の利用で、地上からの帰宅ルートに不安がありましたが、地図を調べたら、4時間あれば帰れる距離だったのと、普段から散歩やジョギングで体力作りをしていた自信と、歩きなれた靴を履いていた事もあり、会社に置いていたお菓子と水をカバンに入れて、ルートの地名をメモした紙だけ持って会社を後にしました。

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 地図は印刷できませんでした。メモには高速道路のジャンクションの名前を書きました。少なくとも千葉へは、湾岸道路さえ目指していけば到達出来るので、少し遠回りですが首都高速沿いに移動する事にしました。茅場町付近で高速道路沿いを外れ、葛西橋通りをまっすぐ進めば浦安に抜けられるのをネットの地図で確認していたので、まずは東京駅に到達する事を目標に移動。

 東京駅から新宿方面を目指す人の群れが多く、人の流れに逆行する形になってしまい、移動にとても苦労しました。1本通りを外れると、誰もいない道なので、そういう道を選んでいたのですが、それが災いし、東京駅に到達した時、次の目指すべき茅場町の方向を見失ってしまいました・・・。

 目の前を歩いている人が千葉を目指しているとは限らないのに、不安感から人がまとまって進む方向に釣られて歩いてしまいました。
 地名がわからず、進んでいる方向がわからず、しばらく迷いの気持ちでトボトボ進みました。途中で地下鉄の駅を見つけ、駅名でやっと自分の現在地がわかりました。
 茅場町を目指していたのに、宝町駅についてしまいました。かなり方向がズレてはいましたが修正出来る位置。持っていた地下鉄の路線図から、次は八丁堀を目指す事にしました。駅前の地図を参考にしましたが、八丁堀にたどり着くまで不安でたまりませんでした。

 八丁堀に到着し、駅前の地図を確認していた所、見知らぬおじさんが「何処に行くの?地名はよくわからないけどだいたいの方向ならわかるよ!」と声をかけてくれました。茅場町の方向を目指していると伝えたら、親切に方角とルートを教えてくれました。
 おじさんに言われた通り、道を歩いていたら茅場町の駅が見えてきました。

 次は一般道の看板を見ながら、葛西橋を目指します。

 ここまでで2時間ぐらいかかっていました。2時間30分ぐらい過ぎた頃、足の裏がとても痛くなってきました。足はまだ疲れていませんでしたが、どうやらマメが出来てきたみたいです。1歩進むたび、ヒリヒリと痛み、早く家に帰りたい気持ちが強くなり、自然と早足になってしまいました。

 自宅の方面が完全に断水しているという情報が入って来たので、なるべくトイレは道中の公園で済ませていこうと思いました。
 足の裏が痛くなってきたと同時期に、歩いても体が温まらなくなってきて、寒くてたまらなくなりました。本当に寒かったです。コンビニで夕食を買えるなら買わなきゃと思いましたが、人がみっちりと店内にいて、空っぽになった棚が見えました。
 諦めて自動販売機でコーンスープを買い、それを飲んで夕食にしました。

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 葛西橋方面に向かう人の群れは、自分と同じ方向に行く人の群れなので、とても歩きやすくなりました。ただ後ろからどんどん人が来るので、自分のペースでは歩けなくなりました。休みたいけど休めない状態。

 十字路のそばで、10歩ほど先を歩いていた人が、信号が変わったばかりの左手側の大通りの横断歩道を走って渡ろうとしました。路地の方から、黄色に変わった信号に焦ったバンが飛び出してきました。そして横断歩道を渡ろうとしていたおじさんをはねました・・・。

 目の前の直進する側の横断歩道の信号が青に変わり、人の波がググッと前に進みだし、そのおじさんがどうなったのか見る事も出来ず、前に進むしかありませんでした。
 皆が歩く事に疲れきっていて、事故に何の関心を持てず、前に進む心理だけがあった感じです。
 後ろの方で、救急車を呼びました!という声が聞こえ、10分ほど歩いた所で前から救急車の音が近づいて来たので、少しほっとしました。あのおじさん、無事だといいな・・・。

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 木場公園に到着した頃、人の波が収まってきたので、少し公園に逸れました。トイレを使わせてもらい、持ってきたチョコレートを少しかじってベンチで休憩しました。
 足の裏のマメが増えてきたみたいで、座っていてもヒリヒリしました。裂けてないといいな・・・見たらもっと痛くなるから見ないようにしようとだけ決め、10分ほど休憩して、また歩き始めました。

 葛西橋にやっとたどり着き、後少しで帰れるとやっと感じました。電車から見る風景が見えて、今私は電車からいつも見てるあの橋を渡っているんだと、少し感慨深かったです。こんな事で渡る事になるなんて思いもよりませんでしたが。
 風が強く、疲れてきた事もあり、風に煽られ、橋の上ではフラフラしてしまいました。橋は長く、端にいつまでも到着せず、永遠に続くのではないかと思いました。

 それでも、浦安についたら浦安の西友で少しトイレを使わせてもらって、食料品を買って・・・などと、今後の事を考える余裕が生まれました。
 浦安に到着したら、浦安駅前は大変な事になってました。ディズニーランドが液状化したとの事で、多数の観光客があふれていました。海外からの旅行者らしい人たちが、宿に戻る事が出来ず、不安そうにマクドナルドに提供してもらったらしいタオルに包まっていました。

 西友は閉店していました。そういえばさっき、マクドナルドも閉まってた・・・。

 家にある食材は、調理しないと食べられない物ばかりだったので、ガスも電気も止まってたらご飯が作れないのにどうしようと思いました。
 その時、ゆうたんからメールが入り、私の家の地域は断水だけで済んでいる事、2Lの水は手に入らなかったけど500mlのペットボトルは買えた事、スーパーですぐ食べられるお寿司はなんとか確保しておいたので安心するようにという連絡が入りました。

 とりあえず今夜は大丈夫そう!と思うと、びっくりするぐらいほっとしました。水と食べ物が確保できない不安って、かなり大きいですね。自分でもかなりビックリしました。

 会社を出たのが5時丁度で、家にたどり着いたのは9時半でした。もう二度と歩きたくないぐらい疲れていました。でも余震が何度もあって、中々寝付けませんでした。
 断水はしていましたが、近所の公園はトイレが使えるという情報があり、通うのは大変だけどトイレもなんとかなりそうというのも、安心感がありました。

 地震の当日だけで、人生の価値観がどんどん変わって行くように感じました。
 本当に長い1日だったです。

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コメント

MACKさん、とっても大変な思いされましたね。
帰宅する中、いろんなドラマがあったんですね。
ワタシも東京で働いていたことがあったのですが、その時こんなことが起きたら・・・と思うとぞっとします。
ひとりで怯えていただろうし、何時間もかけて徒歩で帰宅する決断ができただろうか?とか、MACKさんは帰宅しながら、家のことを考えたり、ほんとに冷静ですばらしい判断をされたかと思います。
これから、まだまだ頑張り時ですね。
日本が一日も早く復興できるといいですね。がんばりましょう!

MACKさん、地震の恐怖・懸命の帰宅、我慢の生活・・何といっていいかわかりません。
こんなことが起こるなんて、思いもよりませんでした

私の住む地域は、何度かの揺れで終わり、被害はありませんでしたが、
被災された方々を思うと、胸が痛みます
できることは少ないですが、ちょっとでも役に立ちたいと思っています
MACKさん、まだまだ不便な生活でしょうが、お体に気をつけてお過ごしください

MACKさん、ご無事で何よりです。
大変な思いをされたのですね・・・

私はたまたま仕事が休みで自宅にいたのですが、
棚が倒れたり、物が落下して割れたりして、
ショックで動けませんでした。

私の地域では現在、毎日のように停電が行われています。
夜間の停電は心細いですが、
被災地の方々はもっともっとしんどいんだ・・・
今、自分にできるのは、節電と募金!
そう思い、私もミシン・アイロンは自粛してます。

MACKさんのお住まいの地域でも
まだまだご不便かと思いますが、
体調にお気をつけてお過ごしください。

teaさんこんにちは。

 被災地の事を考えると、自分の体験は微々たる物ですが、私にとっては初めての経験も多くありました。阪神大震災も記憶にはありますが、ここまでひどい物ではありませんでしたし・・・。自分が直接の被災者になっても、離れた場所の被害を知った時も、今までとは違った考え方、対応が出来そうです。
 もう起きてしまった事なので、これ以上状況が悪くならないようにする事が、今もっとも大事なのではないかと思います。自分が感じた事、考えた事、そしてこの経験を、マイナスだけの経験にしてはいけないと感じています。

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mike114さんこんにちは。

 私の受けた被害は本当に微々たる物でした。多少の不便は出ましたが、たったそれだけでも色んな部分で不安を感じ、気持ちが何度も沈みそうになりました。帰宅が大変だとか、水が出ない程度でここまでストレスを受けるのだから、被災地の人のその度合いは計り知れないと思います。
 戦後最大規模の大災害には、戦後最大規模の支援が必要になりますし、今後被災された方が波におびえて暮らさずに済むよう、強固な津波対策も必要になってくると思います。
 原発がないと経済がまわらないほどに依存してしまった事等、エネルギー問題も今後は考えていかなければならないですよね・・・。福島の人は東京のために大きな不安を抱える事になったような物なので、少しでも不安を解消してあげたいです。
 なにかしたいのに、自分が無力だという現実しか見えてきませんorz 
 募金も生活余剰金はすべて投入しましたが、きっとスズメの涙分にもならないだろうと思います・・・。

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のたりんさんこんにちは!

 自宅にいたら自宅にいたで怖いですよね。物が落ちて壊れる事自体、普段そんなにあることではありませんから、いきなり非日常に放り込まれる自然災害の恐ろしさが、身に染みます。
 私も計画停電区画で、夜の停電があります。うちは懐中電灯もないため(被災の備えなさすぎで恥ずかしい;)ロウソクなのですが、火事も警戒しなければならないので、寝るに限る!という状況になってきましたw

 電気は備蓄できないため、人が電気を使わない時間の節電はあまり効果がないですし、東京電力が電力消費量のグラフを出してくれてて、電気使用量が少ない時間帯がわかってきたので、私はその時間を利用して、アイロンやミシンを再開しようと思っています。チャリティバザーに出せる物とか、作れないだろうかと・・・。

 会社からずっと自宅待機命令が出ているので、今後会社自体、危うい事になりそうな気がしないでもないですし、不安はつきませんが、今出来る事を1つずつこなしていくしかないと思っています。

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