無事帰宅しました
徳島滞在中に、夕焼けで虹がかかり、ちょっぴり不思議な景色。ほんの5分ぐらいだったけど、珍しい物が見られました。
仕事のデータや、チクチク用のハギレを持ち帰っていたけど、忙しくて持っていった意味なし!チクチクに至っては、ヨーヨー1個すら作れませんでした。お葬式の忙しさ、かなり舐めてました。
お葬式で用意された食材の残りや、お供えされた物なんかを捨てるわけにもいかず、滞在中はそれの消費をメインにした食事。
掃除や片付けのついでに出てきた、賞味期限の切れたレトルト食品なんかも、ちまちまたべてみたり。インスタントのスープは全然平気でしたw
ホットケーキミックスも、味の劣化はなかったかな・・・?
気になる兄貴の部屋も片付けを手伝って、埃なんかはだいぶ、掃除できたと思います。バラけるミニカーは、パック詰めしておきました。
ただ掃除の際、相当な量の埃が舞ったようで、その後、兄貴の部屋に入るとくしゃみ鼻水が止まらなくなり、近づけなくなりました。
埃結界か・・・やるな!
まだマンガ本とかCDの山が気になってましたが、近づけないから仕方ないと諦め、父専用調味料ボックスを整頓したりしました。そりゃ高血圧になるわ!って突っ込みたくなるぐらい、大量の醤油コレクションが・・・。
死ぬ前日に、ホットプレートで焼き味噌をしてたみたいで、ホットプレートの蓋を開けたら、ちょっとした腐海が広がっていました。帰省してすぐに見つけてたら、父の最期の調理品を食べられたんだけどなあ。
父が畑で最後に収穫した野菜なんかは、ボリボリ食べましたが。
家の周辺を撮影したら、うっかりお父さんが写ったらどうしようと思って撮影できなかったのですが、最終日はとっても良い天気で、川も穏やかだったので、ちょろっと川原に下りて撮影してきました。大丈夫、お父さんは写ってません!(笑)
そういえば遺影は免許証の写真に、背広を合成していたぐらい、父の写真がなかったのです。写真を撮られるのがキライというわけでもなかったのだから、もう少し撮っておけばよかったですね。
私と兄が小さい頃の写真でしか、父の普段の姿って残っていないのかも?
実家に1週間も滞在したのは本当に久しぶりで、でも本当に慌しくて大変でした。家長が死ぬという事は家族にとって、とても大きな事件ですね。書かなければいけない書類の多さ、名義変更が必要な物の多さ共に、とても大変でした。
まだ香典返しや、49日の法要の準備など、気の休まる暇もない日々が、実家では続きそうです。不用品を捨てたり、仏壇やお墓の準備なんかもあるし。
できる限りの事は手伝ってきたけど、まだまだ山積していたのがとても気になります。叔父や叔母が心を砕いて手を貸してくれたおかげで、なんとか乗り切ったという感じですね。
お金の問題もあって、退職金は前払いでちまちま貰って遣っていたようだし、保険嫌いの父は生命保険にろくに入っていなかったし、仕事場で倒れたけど病死だったので労災が下りないし、半端に働いていたのと来月で65歳だったという事もあり、年金がほとんどないとか、もう色々・・・。
わずかにあった貯金は、お墓と仏壇を買ったら終わりのようで。遺産で揉めようがなく、借金がなかったのだけが救いと母は笑ってましたが(笑)
母は私の稼ぎや貯金をまったくアテにしていないようですが、もしもの時は私が出す覚悟でいないとね(`・ω・´)頑張って稼ごう!
今後、母を気晴らしにあちこち連れ出してもらえるよう、兄にカーナビ購入資金を提供しましたが、母はもう車で出かけるのは疲れて嫌みたいだし、兄の自己満足アイテムになってしまいそうなのが、とっても気になりますwwww
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おかえりなさい…
お父様のこと お悔やみ申し上げます。
どう言っていいのか 言葉が思いつかないのですが…65歳なら まだ若いのに…残念でしたね。ご愁傷様です。
投稿: かこ | 2009年9月16日 (水) 21時31分
無事、お葬式も終え、がっつり初七日まで実家に留まってしまいました。
改めて、お悔やみの言葉ありがとうございます。
近所でも、親戚内でも、どちらかというと若い方だったので、私自身、まだ先だと思い込んでいましたが、こういうのははやり、わからない物ですね。順番からして、親が先なのが一般的だとは思うのですが・・・。
一緒に暮らした年月が18年程度と短く、何でさっさと家を出ちゃったのだろうとか、色々考えてしまいました。
まだ死んだ事が信じられなくて、次に実家に帰ったらいそうな気もするとか色々。これはまだ、受け入れきれてないって事なんでしょうかね・・・。
投稿: MACK | 2009年9月17日 (木) 11時33分
お父様が亡くなられたと知ってショックでした。うちの父親と一歳違うだけなのに………心よりお悔やみ申し上げます。
お母様のことも心配ですよね。でも、お兄様が側に居てくれるのは心強いですよ。
MACKさまもたくさん疲れが溜まってると思いますから…お風邪など召されませぬようご自愛下さい。
投稿: くぅ | 2009年9月17日 (木) 12時41分
くぅさんへ
兄が若干頼りない気がしたりもして、心配の種は尽きない毎日です(笑)
失ってから、もっとこうすれば良かった、ああすれば良かったって。たくさん話もして、いっぱいお出かけをして・・・釣りにも久々にいっしょに行きたかったし。
今更ながら、孝行が足りなかったなぁと。
残った母を全力で孝行しないと、満ち足りない自分がいます。
ほんとに人の生死は儚いものですね。いつか来る事だとはいえ、早かったというのが悔しいです。
投稿: MACK | 2009年9月18日 (金) 08時40分
MACKさん
この度は・・・何とお声をかけて良いのか・・・
心よりお悔やみ申し上げます。
私も18で田舎を離れて早十数年。
3年程前までは、ほとんど田舎に帰ってませんでしたが、
大好きだった祖父が亡くなった時にたった30分、間に合わなかったということがあり、
それがものすごくショックで、それ以来なるべく
実家には帰るようにしています。
親は健在ですが、はたして私は孝行できてるのか??というと疑問で、
うちの親にとってはきっと家を継いでもらえる事が
何よりの孝行なんだろうな。なんて考えると
実現できない現状に申し訳なさをいつも感じてしまうんですよね。
なんか話がそれてしまってごめんなさい。
MACKさん、いろいろ考えてしまうこともあると思いますが、
無理なさらないようにして下さいね。
投稿: yu-ki | 2009年9月18日 (金) 23時29分
yu-ki♪さん コメントありがとうございます。
大事な人を失ってはじめて、自分がいかに家族から離れすぎていたのか痛感しました。前回帰った時は1泊しかできず、その時父とは30分程しか顔をあわせていません。それも後悔の要因の1つですね・・・。
孝行にも色々な形があると思いますが、跡を継ぐとかそういう物理的な事より先に、やはり顔を見せてくれるというのが一番孝行になるんじゃないかと思いました。なのでyu-kiさんのように、なるべく実家に帰っておられるようなら、それが一番の孝行になっているのではないかと。
それが当たり前のようになってくると、親にも欲も出てきて、色々言われるかもしれませんが(笑)
自分がもし親なら、子供が元気で幸せに生活していることを、目で見て実感できるのが一番なのかな、と・・・。
後はもう肩でも揉んでくれたら!みたいな。
あ、疲れてる母の肩を揉むのを忘れてた・・・
投稿: MACK | 2009年9月19日 (土) 08時58分